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生命力

明けましておめでとうとございます。

本年もよろしくお願い致します。


昨年から娘が踊り始めました。

遊びで私達のマネをしています。

ジャンプやターン、摺り足などを彼女なりにチャレンジしています。

そんな娘を見ていたら、基礎稽古はわざわざする必要はないんだなって思ったんです。夢中で遊んでいる動きの中に基礎があって、見ているともうそれで充分なんです。これからも、このまま楽しんでいたら、勝手に色々なものを手にしていくんだなって、私はワクワクしながら見守っているんです。


子供達の能力や感覚はすごいんです。そして、かつて子供だった私達もそうだったはずなんです。

でもね、忘れてしまったのか失ったのか、その感覚を今は羨ましいと思って眺めています。


昨年、私は子供の時の感覚を思い出だす為、事あるごとにこんな質問を自分にし始めました。


「本当はどう思うの?」

「本当はどうしたいの?」

「何の為に生きてるの?」


そして、可能な限り素直にその答えに忠実に生きてみました。

半年ぐらいしたらでしょうか、いつのまにか生き方や生活が反転していました。体調や生命力も蘇っていました。

そして、ずっと見えていなかった問いへの答えが降ってきたんです。


新年はこの問いの話を書こうと決めていました。

生き方が反転した話も書きたいのですが、とっーても長くなるので、ここではその問と答えを書こうと思います。長くなりますが、お付き合い頂けたら嬉しいです。


十五年ぐらい前でしょうか、花と一緒に埋蔵されている古代人のお墓があるという記事を読んだのをきっかけに、私は、「なぜ、古代人は死者に花を捧げたのか?」その気持ちが知りたい、そして、それを作品にしたいとずっと思ってきました。

現代人の私達もなぜ死者を花で飾るのでしょう。どんな気持ちで捧げるのでしょう。

かつての私は、「踊りたい」という気持ちが起こる衝動のシステムとなんだか似ている気がしていました。


古代人の気持ちを探る為に史書などを色々読みました。が、答えに繋がるようなものは長年見つける事は出来ませんでした。


ご存知の通り、争いばかりが記されています。花を捧げるような人達とは重なりませんでした。

縄文初期やそれ以前の日本列島からは武器が見つかっていないそうです。と言うことは争いはなかった。


私は太古に生きた人の感覚や気持ちが知りたいんです。


昨年、ふっと思ったんです。

なぜ物語にして残したんだろう?

なぜ自分達の歴史を後世に伝えたかったんだろう?って。

地位や権力を未来永劫誇示しつづけたいからだと思いました。(それが悪いという事ではないです)

そう思ったら、そもそも今まで読んできた史書には知りたい情報は何も書かれてはいないんだ、という事に気が付きました。(別角度での楽しみはあります)

私が知りたいのは争わない人達の感覚、気持ち。争わない人達は何かを誇示する必要も残す必要もないんです。

さらに、死生観も全く違うのだとわかりました。

史書から見えるのは「死」は負けだという事。しかし、縄文初期、それ以前に日本列島に住む人達にとっての「死」は単にカラダを脱ぐだけ。たいした事ではなかったんです。

そう、なので、死者に花は捧る必要はないんです。

あくまでも私の感覚です。

少なくとも悲しみや死者への慰めから花を捧げてはいないというのが答えでした。

こんな簡単な事になぜ気付かなかったんだろう。

子供の感覚で捉えない限り見えてはこない景色なのだと思います。(あくまでも私にとってはです)

だから私は、長年、何読んでもしっくりこなかったんです。

そもそも視座が全く違ったんです。


この感覚のお陰で、見える世界が全く変わってしまいました。

おのずと神社への解釈も違うものになり、踊りを奉納させて頂く意味も全く変わってしまいました。

見た目に変わりはないかもしれませんが、作品へもかなり影響しています。


子供の感覚で世界を見ると、当たり前の事が当たり前に見えてこないんです。疑問だらけになるんです。

世の中が不思議でいっぱいになるんです。

こんな事が起きた2021年でした。

今年もさらに子供をお手本にして、楽しんで過ごしたいと思います。

まだまた書き足りないのですが、これで終わりにしたいと思います。


今年も皆様にお会いするのを楽しみにしております。

まずは2月、アルハムブラでのハフラです。床に転がりアザを作りながらわーきゃー言って作品を作っています。とっても楽しいんです。


それでは、皆様の素晴らしい一年を心の底から信じております。


長文をお付き合い下さいましてありがとうございました。


愛と敬意を込めて

蜜月稀葵




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