先日のうみゆうどでの独舞を観て下さったみなさまからお言葉をいただきましたので、ご紹介させて下さい。
古代、未来、いつかわかりませんが、いつもとは違う「場」 へみんなで行きました。
私の踊りは何もなくごくシンプルなものであったのに、私の゙体内と同じような感じ方をしてくれていました。
稀有なすごい方々。
......
写真家 池田敬太さん
きれいでした。
柔らかく、やさしく、まっすぐ立てる人なのだなと思いました。
うみゆうど 今井芽さん
水源とお話しするには、「私が私であること」と、昔聞いたのを思い出しました。
そんな感覚は、昨日私も感じはじめました。
これでいいんだと🧡
版画家 名嶋憲児さん
舞踏は表現だと思っていたのでどのように肢体を使ってみせてくれるのか興味がありました。
両足
両手
視線
を注視していました。
動線は行って帰ってくる円相でした。
手は気配と触れあってる感じがしました。
足は地球全体を味わっているように見えました。
視線はまっすぐ前。
瞳は閉じない。
目を閉じると想像力で身体を動かすことが容易になると思うんだけどそうはせず抑制が効いていました。
物体を見る目ではないんだけど閉じては見ることができないのだと思いました。
結局まれあさんの舞踏は人に見せる為の舞踏ではないのだと思い至りました。
観客がいてもいなくても舞に変化はない気がします。
やさしく触れて自然や精霊から教えてもらっている舞踏なのではないでしょうか。
窪田玲さん
軸がガッツリ入ってきました。
本来の自分に回帰した感覚があります。
甲俊太郎さん
すばらしいくらい体感に敏感な方なんですね!
ここまでしっかりと体感できるのは、まれあさんの才能なんでしょうね...
嫌な思いをされたら申し訳ないのですが、
実は、躍りを見たとき、おそらく衣装も相まって、
結婚の花嫁のように見えていました。
原始的とさえ言える苔むした岩の隙間、清水の浅い穴に足を浸しながらすすむ。
なにかとまれあさんの合一。
そんな感覚を得ました。
確かに、ささげる躍りではありませんでしたね
.......
私はみんなと共鳴できてました。
自然とも。
一つでした。
嬉しい。
空間にふれることがエクスタシー
「生きる」はエクスタシー
根源的な思考
ありがとうございました。
写真は、
池田敬太さんです。
Comments